阿吽の喧嘩。

矛盾してる。だが、それでいい。

ロード・オブ・引き継ぎ3

やはり、引き継ぎノートはあった方がよさそうだ。今日、そう思った。

 

引き継ぎのためのノートをきちんと作ればいざ『辞めます。』と言った時に自分のタイミングで辞めやすくなる。うちの会社は引き継ぎのシステムがないので、下手に辞職しようとすると、そこから三ヶ月くらい引っ張られる事にもなりかねない。僕の前任者がまさにそうだった。

そこそこ求人が増えてきているとニュースでもやっていたのに、次の人が来ないのだ。

誰かが『あんな条件で誰が来んねん』と言っていた。よく考えれば求人事情が改善したということは企業同士で人を取り合う訳だから、ほかのところは今までより好条件で募集かける傾向になるのだから当然だったのかも。しかもうちの条件は入社してから、さらに何段階かウソだったと分かるのだから凄まじい。

 

新人教育のシステムもないから、会社内の仕事を薄ら全体的に把握する必要があるこのポジションでの引き継ぎをまともにできるようなノートが完成すれば、それは簡易的に新人教育のテキスト代わりにもなるんではないだろうか、と考えている。

僕もなかなかポジティブ、かつ不遜な人間になったものだ。

心も身体も、なるべく身軽でいようと思う

かなり昔から僕にはあるイメージがあって、人間の精神にはプラスの世界とマイナスの世界がある、というものだ。その境目はもちろんゼロになる。躁状態か、鬱状態かというのとはまた別だ。

何となく、自分の存在そのものにいい感覚が湧かない、特定の人間関係ではなく世間全体に引け目を感じる、生きていてごめんなさい、みたいな精神の持ちよう。これがマイナス世界。自分の事を全体としては肯定でき、他人と引け目なくつがっていける、俺たちは広い意味で仲間だ、という感覚。こっちがプラス世界だ。この二つの世界はズバッと切り分けられているのではなく、グラデーション的な色変わりをしながら地続きで繋がっている。だから、ゼロ地点はあるといっても広がりを持っている。

総括するとこういうイメージだ。もう少し具体化すると、浮かび上がって水面から顔を出すまでがマイナス世界。

水面は2次元的な広がりをもっている。これが何となくゼロ地点。ようやく息ができる。陸に上がってから自分の足で方向を定めて歩くのがプラス世界。もしかしたら、陸に上がって初めて自分の背中に翼が生えていることに気づき空を飛ぶ人もいるだろう。

 

ここで、強調したいのは、マイナスからゼロまではだいたい似たようなやり方でいけるのだが、ゼロからプラスは人それぞれ全然違う精神作業になるんじゃないかと言う事だ。

マイナス世界は息ができないのでとりあえず苦しい。苦しさから逃れたい、という単純な動機で水面を目指す事になる。

自分で気づいてないうちに抱え込んだり、まとわりつく重荷を捨てるような心の作業で水面まで浮いていく事になる。

動きとしては一直線なイメージだ。

で、ゼロからのスタートだが、ここからは選択肢がほぼ無限にある。自分は果たして何を望みどんな生き方をしたいのか?それを自らの進む方向で示す事になる。これはかなり難易度が高いが、楽しい作業でもあるだろう。既にある道を行くもよし、道無き道を切り拓いて進むもよし、その他の手段で飛んでもいい。

たまに転んで水中世界に落ちちゃう事もあるかもしれないが、それも人生。

 

こういうイメージを僕はボンヤリと描いている。なので、水中で苦しんでいる人なのか?、それとも陸の上で進むべき方向に迷い苦しんでいる人かによってアドバイスや、助け舟の出し方は変えてあげないといけないと思う。

 

この記事の結論はそれだけだ。

 

 今、書きながら気づいたが、上記のイメージはカエルの生態と酷似している。

空を飛ぶ場合はトンボだろうか。

とにかくマイナス世界からプラス世界に入っていく段階には物凄い変化がないと適応できない、という例えだ。

 

まだ足も生えていないオタマジャクシに、早く陸にあがってゲコゲコと元気良く鳴きたまえよ!と励ましたりしていないか、よく考えなければならない。

そう思ってはいる。

思ってるだけだが。

ロード・オブ・引き継ぎ2

・社員の名前

まずは社員の名前を片っ端から覚える。他の部署ならいざ知らず、このポジションは言わば黒子のようなもの。他部署の人が仕事がしやすいようにサポートするのが基本業務となる。自分の部署の人だけ覚えておけば何とかなると思ってはいけない。突然、社長から『あー、ほら、あれを担当しとる、アイツや、あの子だれやったかいな?』と聞かれたら、

『ああ誰々のことですね(´∇`)』

と教えてあげなければならない場面もあるのだ。入れ替わりの激しいこの会社で誰がどこで何をやっておるのかということを常に把握するためにハンター×ハンターのシルバさん並みの「円」を常に張り巡らすイメージで勤務するとよい。

 

・誰がどこで何をやっているかを把握する事のメリット

「円」は修得しただろうか?

先に言っておかなければならないが社長は行方不明になる事が非常に多く、覚えたてのアナタの円では捕えられない場合が多々あるだろう。そこで、困った時はその仕事を誰に相談すれば解決するかを考えなければならない。普段からのサポート業務が出来ていれば、こちらのお願いも聞いて貰えるというもの。愚痴をキチンと聞くのも自然と誰が何をやっているか(または頼りにならないか)が分かる。ただし、工場長の他は全員平社員だとはいえ、やはり部署ごとにボス的存在はいる。小さな会社やから大丈夫と頭越しに案件を持っていくと、後で妙な揉め事に巻き込まれる羽目になるのでそのへんの暗黙のルールは守る事。面倒臭い。

じゃあ、Slowly Queenであってるのか?と言われると、本当は違う表現が正解かもしれないのでリアルではこの話はしない。

おばあちゃんが、トボトボと歩いている。そのあゆみは、とても遅いのだが、その方が着ている長袖はかつて息子さんのものだったのかと推測できるが、

『Speed King』

とデカめの刺繍がしてあった。

 

たまに着ている服の文字と本人が合わないパターンは見かけるが(そういうのに心の中で突っ込みを入れるのが小さな楽しみだ)、二重の意味で正反対の組み合わせは初めて見たような気がする。

 

でも、もちろん何を着るかなんて90%以上は本人の自由だ。むしろ、突っ込みどころのあるアンバランスな服装にはそういう自由の風が吹いてるような感覚を覚える。

不特定多数に好印象を与えようと計算している人もいるし、そういう人の方がセンスある服装をしているんだろうと思う。僕としては、おお、エロいなぁとか、自閉症スペクトラムの傾向ありそうやなとかしか考えてないから『センス』うんぬんは分からない。

『センス』という言葉は魔物だ。

その一言で、カッコよく誰かを否定出来てしまうお手軽さは怖い。

まあ、褒める時もお手軽になってしまうのだけど。

ロード・オブ・引き継ぎ

とりあえず、会社を辞めようと思い立ったのでこれからは引き継ぎのためのメモ書きのようなものをちょっとずつ残しておこうっと。

 

誰にもまだ言ってないし、いつになることやら分からない。

 

・工場長について

読んで字のごとく、工場の長である。

そもそも、組織の体系がない中で突然彗星のごとく現れたポジションなので他の会社の工場長とかよりは若いと思う。でも社長の指名なので間違いなく工場長である。その他は全員が平社員というフラットさは言うまでもない。

 

・他の社員の愚痴を聞く。

私が担っているポジションは その特性上、他の社員の愚痴を聞かされる事が多い。

面倒臭いがとりあえず聞いてあげましょう。『そうだ、そうだ!』という合いの手も入れてあげると気持ちよく話してくれます。この作業が後々の暗躍する際の重要な情報源になるので馬鹿にはしないこと。また、基本的には永世中立国スイス的な立場を保つ事も意識したいところ。

好きな事を職業にできた人は諸々鑑みてやはり幸せと言って差し支えないように思う。

対人関係をウワベだけでも良くしようと考えている僕にとって笑顔というのはかなり重要なツールになっている。

愛想笑いもそこそこ使うし、相手も愛想笑いだと気づいている前提で使うのがいわゆるオトナのやり方なんだと最近は思う。やはり円滑にできるところは円滑にしておいた方が、得られるものも多い。

 

しかし、『愛想笑いをしないと人間関係がギクシャクしてくるとすれば、それは根本的なコミュニケーションのやり方がどこか間違っていると捉えるべきで、やらないで済むならやらない方が君の価値は高まるよ。』というアドバイスをもらった。なかなか含蓄がある気がする。

どうなんだろう?  僕は愛想笑いもスキルの一つで、バカとハサミと同じもんだ、使いようだ、と捉えていた。しかしコミュニケーションスキルの低さを愛想笑いで無理やりカバーしているだけだとすれば…

課題は増えるばかりだ。

 

課題が増える一方で、 付き合いを継続している人は年々減っている。コミュニケーションを課題にしているクセに何とも矛盾している。

思い返してみれば、自分と長く一緒にいる人は心を少し病んでいるような人が多い気がしてがしてならない。

例えばまず病んでいて、その部分に惹かれたとしても何かの拍子に健全な精神を取り戻したら、その人との関係は自然と希薄になるだろう。自分がその、健康になった相手への興味が無くなるというのもあるかもしれない。興味がなくなるとまでいくと言い過ぎかもしれないが、話の中で相手を観察し、深く分析してみたいという欲求が湧いてこない。昔、糸井重里が、『常にザワザワと誰かと一緒にいる感じの人が苦手だ』と前置きした上で、『反対に1人の時間で色々と自分の考えにヤスリをかけてる感じの人とは気が合う』と言っていた。考えにヤスリをかける、という表現を僕は気に入った。

相手のヤスリの跡を見つけて、ああ、なるほど、ここをこう削ったから今のこの人があるのだな。みたいな事を考えるのが好きなのだろう。これが職業になるかといえばあやふやだけども。

「感謝」よりも「納得」という言葉の方が納得できるので、それを大切にしていこうと思う。あるいは、「感謝してほしければ、納得させてみろ」

今週のお題「2017年にやりたいこと」

今まで、「今年はこれこれをやるぞ」と思ってできた試しはないので、結局は今こう思っているというだけの事になりそうだが、(そう言えばこのブログはそういう事のメモみたいなものだ)「感謝」という感情は「納得」の後にくるものだと感じている。

感謝する心を大切にしよう、という言葉を色んな本で目にする気がする。何なら感謝すれば人生うまく行くとまで言ってる人もいるけど、そりゃ言い過ぎじゃないかと思う。「言い過ぎ」に語弊があるなら、すっ飛ばし過ぎの方が精確か。

感謝するときってどんな時かというと「有り難いな」と感じた時だがそれを思うためには必ず「タダじゃなかったのか」とか「当たり前じゃなかったのか」という気づきが先にくる。やってもらった行為、または存在そのものに『ああ、これは偶然、恵まれてて手に入ってたものなんだな』と納得できて、それから感謝できる。つまりはその対象に対するきちんとした理解ができて初めて感謝するかどうかが決まる。いわゆる「失くしてから気づくパターン」が多いのはタダじゃなかった事を理解できるのが失くしてからの事が圧倒的に多いからだ。

大げさに言うと、この世界の仕組みやシステムや因果を理解できてからでないと感謝できない。「感謝」っていうのは結局、人間にとって訓練や教養のいるもので本来的に備わっているものじゃない。「感謝すれば人生うまく行く」のはすっ飛ばし過ぎやと思うのはここらへんだ。理屈っぽくタイトル付けなおすなら、「人生がうまく行ってないなら、感謝できるように色んな事を勉強して出直してきなさい。」とするべきだと思う。絶対そんな本売れないが(笑)

なんでこんな事を考えたかというと、自分の周りに『あいつは全然わかってない、もっと俺に感謝するべきやろ』みたいなニュアンスの不満持ってる人が多いなと思ったからだ。

まあ、分からなくもないのだけど相手の世界観の中でその貴方の行為は、まず独立した一つの行為という概念にならねばならんしその上で相手に有益な行為であるかどうかが判断され、それが貴方の親切心のみに支えられておるという事、つまりは「タダじゃないんだぞ!」という事を相手が理解して初めて「感謝」されるわけだ。他人にここまでの情報処理を要求するって思えばなかなかしんどい行為だ。相手も忙しかろう。

とここまで考えて、感謝してもらえるというのは、むしろこっち側が感謝するべき事な気がしてきて笑ってしまいそうになった。

『なるほどな、こすとぱふぉーまんす的には感謝を求めて何かするのって割に合わないな』と妙に納得した。