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阿吽の喧嘩。

矛盾してる。だが、それでいい。

原因と解決策を突き止める事そのものについて

何人か鬱、または躁鬱だった知り合いがいる。自分は『ちょっと多いような気がする』と思っていたが、今日このごろとしては鬱の知り合いが複数いるくらい普通なのだろうな、と思うようになった。たぶん、自分の事を普通の人間だとどこか納得するところが多くなったせいもある。
で、当然ながら心療内科やカウンセラーに通った話を聞く機会もあるのだが、だいたいが『意味が無かった、あんなのお金の無駄だ』みたいな結論だった。
世の中には「TVとか本で見るような名医」がたくさんいる、と何となく自分は思っていたし、外科とか内科とかよりは患者の心じたいを重視してくれそう(重視しない心療内科って逆に凄いが。)なイメージがあったので、周囲からの『あんまり親身になってくれなかった。』とか『勝手に自分の心の問題に結論を出された感じがした』という感想が多い事に驚いている。
そんなにアレなのか?日本の精神医学の領域はレベルが低いのか?それとも患者の数が急増しすぎで一人一人に丁寧な対応をしている場合ではないのかもしれない。きっと診察する側に回らないと分からない事情があるんだろうけど、やはりハズレの先生の確率が高い気がする。相性の問題だけではないと思うのだが、専門家でも何でもないので断定的な事は何一つ言えない。
しかし、
『あんたに分かるわけないじゃん、他人だもの』と患者さんは皆どこかでは思ってるんじゃないのか?
そう思いつつ、さあ、私のココロの問題を解決せよ!と迫るわけだからなかなか天の邪鬼な存在だと僕は認識してる。
話を聞いた中で、たまたま「いい先生」に出会った例を聞いたが、その先生は一通り話を聞いたあとで、
『いやー、いるいる。いますよ、そういう人。』と事実だけを言う人だったらしい。たぶん原因はこうやとか、あんまり講釈はせずに、この薬効き目は緩めやけど、一回飲んでみようか?って感じだったらしい。その対応だけ切り取れば、素人でもできそうな気がしてくるが、患者としては好感もてた「いい先生」だったのだそうだ。この話をしてくれた彼は今まあまあ調子が良いようだ。
僕ははっきり言ってすぐに問題を解決したがる傾向がある。理屈っぽい人間なのでそれが普通だ。何の結論も出ない雑談は今でも苦手だと悩む事もある。でも、こういうのを聞いてるとやっぱりぐっと踏みとどまって相手の話を聴くだけにしておく方が相手の心を軽くできるケースは多そうだな。

ダブン。
落ちた。水の中にだ。冷たくもなく、熱くもない。

どこから落ちてきたのか、彼はよく分からなかったが、陸はすぐそこにあったので安心した。

良かった。と思った時に

少し離れた所でまたダブン!と何かが水に入る音がした。落ちたのか、落とされたのか、よく分からなかった。

水面には何も見えなかったので、顔をつけて水中からその場所を見てみた。
幸いに、水はとてもよく澄んでいて、すぐにそれが人だと認識できた。左手に何やら重そうに、しかし大事そうに抱えている。右手と両脚で必死に上がろうともがいているが、左手のその得物が重いのだろう、どんどん沈んでいく。
その人と、彼は目が合った。
「助けてくれ」と言ってる。
聞こえはしないが、目が、そう言ってる。そう思った。
あっと言う間に豆粒になった。
まだもがいているが、左手に抱えたそれを離そうとはしない。
なぜだ。分からない。助かりたいならそれを捨てて浮かび上がればいいじゃないか。
そんなに大事か?命よりも?
分からない。
たぶん、水の底に消えていったあの人も、分かってなかったんじゃないか。

そう思った。


彼は、浮かんでいる。陸が見えているけれど、別に急いであがる必要もなさそうだ。
水の中で左手を抱きかかえるように動かしたが、水が通り抜けるだけだった。

「何もない。と言うべきか、いや、水はある。と表現できるのか。」とふと考えた。
こんな屁理屈こねているから駄目なんだ。あの人のように大事なものが見つかれば、そんな暇もないほど必死に生きていく事ができるのに。

空しい。

彼は、
ゆっくりと
陸とは反対側に泳ぎ始めた。

自分は何にもならない。

僕とあの人は他人だ。
自分もあの人みたいに稼げるようになりたい、とか
モテるようになりたい、とか
センスのある笑いを提供したい、とかそういうのは無理だ。
あの人と僕は違う人間だからだ。

僕なりの稼ぎ方をして、僕なりのモテ方をし、僕ができる程度の笑いを周りに提供するしかない。

それ以外にやりようがないし、仕方ない。
他人の真似をしたって駄目だというのはまだ分かりやすいのだけど、
あの人がああしたから、「じゃあ反対側のスタンス目指そう」って逆にいくのもビジネス上の生き残り戦略ではあっても人生に適用できるわけじゃない。

強烈にこれがやりたい!という欲求が湧いてこない。何者かになりたいとも思わない、このスタンスのままで、この世界で何かできる事はあるだろうか。
手当たり次第にやってみてはいるのだが…

自分を大切にできなくても仕方ないんじゃないか。時間が解決するのを待ちつつ、あと、Uさんへ綴った言葉。

羊たちの雄叫び

よく聞く言葉なんだけど、自分を大切にしなければ、他人を大切にはできないらしい。
しかし、僕自身の経験では自分を嫌いな人は「自分をちゃんと好きになれない自分」そのものが嫌いなので、かなり詰んだ状態にあると思う。
そんな状態で、自分を愛しなさいとか言われても無理な話だ。
だから、とりあえず他人の方が大切にできるのなら、すればよいと思う。
こんな自分に親切にされても相手は喜ばないだろうから…とか思ってしまうだろうけど押し付けなければ意外と何とかなるものだ。
見返りも求めなければ大丈夫。できれば、親切にされたと相手が気づかないレベルでやってしまうのがお互い精神衛生にとってよいかもしれない。
あと、人間はきちんと統一された生き物ではないから、色んな部分に分割してみればゼロ百思考から逃れられるかもしれない。(ちょっと前まで精神分裂病という病名がまことしやかに使われていたけれど、言葉の上だけならそれって人間全般当てはまらないか?)
丸ごと愛するとか、全てが嫌いだっていうのはどこかに嘘が混じる。

ということでUさん、直接、面と向かっては言えないだろうからここに書いてしまうけれど、僕はアナタが嫌いだ。
久しぶりに一緒に働いていて「嫌いやなぁ」と思える人に出会いました。
もう、生理的なレベルで嫌いかもしれません。
しかし、それはアナタの人間的な価値と直結しません。むしろ、そうであると思っているから僕は安心してアナタを嫌いになれると言ってもいいでしょう。
僕が嫌いになったくらいでアナタの価値がドンドン下がっていくシステムであれば怖くて本当に嫌いになれないではないか。
結論としては今のところホントに嫌い。
ゴメンナサイとも思わない。

書かない事を書きなさい。

『やらないことを決めなさい』
島原隆志 著

を読んでる途中だ。

ふと思いついたので、
「このブログでは書かない事」を考えてみた。
テレビゲームでいう縛りプレイである。

・お金持ちになる方法
・単純な二元論
・特定できる他人や団体、宗教観に対する批判
・ダジャレ
・有名人と自分を関連付ける話
・自殺するかも詐欺
・ハッキリした時事問題

私は今後、投稿する記事では
これらの事は書きません。

昔の人からすれば、ネット空間にボコボコできてるブログというのは、具現化系能力者がワラワラと出てくるに等しい衝撃であると思う。
そしてこの制約と誓約(ダジャレやないか!)により、
僕のブログという念能力は
パワーアップしません。
HUNTER×HUNTERが休載した腹いせである。
(時事ネタやないか!)

タートルトーク

とりとメモ

会社まで駅から歩いていく。
その途中にはため池があり、カメがすんでいるのだけど、
普段は「優雅に泳いでるな」とかしか思わない。(カメよりも蛙とかの方に興味がいってしまうからだ。この前ウシガエルのオタマジャクシと思われる生物を見てウシガエルの成体よりもテンションが上がった。)
しかし今、YouTubeのタートルトークの動画にハマっているので想像の中でカメと挨拶をした。
『お前たち、最高だぜ!!』

しかし、よく考えれば池のカメって前脚しかないから、ウミガメのようにヒレじゃないのでこう、両方の前脚あげてるフォルムに違和感があった。
想像の中でだけれど。
しかし、あれはよくできている。
めちゃくちゃよくできていて、
かなり見たので最初の登場シーンの声で「ウケているカメ」と「ウケてないカメ」が分かるようになってしまった。
だいたい同じような議事進行をしているのにちょっとした間の取り方、返し方が中のヒト(失礼)によって違う。
もう、僕がディズニーランドに行ってタートルトーク本番に臨んだとしても純粋には楽しめないだろうとは思うけれど、ちょっとずつ新しいネタを取り入れつつ内容が変わっている部分もあるし、驚異的なクラッシュのアドリブが炸裂して神がかりな面白さが出る事もあるだろうから、きっといそいそと見にいくんだろうなぁ。
もし、YouTubeで見る場合はまず千原ジュニアが滑らない話でしゃべってる動画を見る前に、本物の方を見た方がいいです。

蜘蛛

とりとメモ

数日前の夜中に蜘蛛を見つけた。
自分の部屋で寝ようか、ちょっとニコ動でもたしなんでからにしようかという時だった。

ちょっと大きめ、ハエトリグモの仲間だったと思う。
地域によって差はあるらしいがウチでは「夜の蜘蛛は殺すな」という教えがある。
なぜ、朝なら殺しても構わないのかという説明をされた事もないから僕としてはどちらでもよい教えだが、この日は
『ふっ。命拾いしたな…』と心の中でつぶやいて、そのまま寝た。
他の虫を食べてくれるし、まあ、ええか、くらいのものだ。
蜘蛛の方も
いやぁ、ありがてぇ!太っ腹だな、大将!!
とお礼を言っているような想像をして
僕は寝た。



次の朝、その蜘蛛は脚を縮めた感じで死んでいた。

前の晩にいた場所からほとんど動いてなかったので、あの時点でかなり弱っていたのだ。

なんか『命を救ってやった感』丸出しだった自分がちょっと虚しくなった。

死ぬにせよ、生きるにせよ、
ちっとも思い通りにはならんのじゃよ……
(勝手に年齢を補正しているが。)

その蜘蛛に思い出さされた気がした。

当たり前の事を、すぐ忘れる。

それとも
当たり前だから、忘れるのか。