阿吽の喧嘩。

矛盾してる。だが、それでいい。

怒りの感情について②

「阿」『確かにね。そういう面はある。認めよう。』

「吽」 うむ。これにて一件落着。

『いやいや、話終わらせるな!本題は「怒り」の方だからね?』

あーそうか。正直、興味なくなってきたんで止めにしないか?

『止めにしない。それでね、仕事でどうしても納得できない事があって一人で家に帰る道中もずっと怒ってたんですよ。普段はまあ、そういう事もあるよな、とか思ってすぐに抑えてしまえるんだけど、その日は本当に頭にきてて。』

それで?

『それで気づいたんだよ。あんなのはどう考えてもおかしい、って心の底から怒りを覚えながら電車に乗った時…
他人が怖くなくなったんだ。

? どうして?

『他人と一緒にならざるをえない電車は、乗っている間中うっすらとした引け目みたいなものを感じていました。
それがなんという事でしょう。
怖くなくなっているではありませんか。あの瞬間は今でも鮮明に覚えている。』

質問に答えろ。どうしてそうなる?

『実感としては、私の中で自分の感情を素直に認めるという事と、自己肯定感がリンクしていたんだと思う。それまでは自分の感情というあやふやなものはおざなりに、特に「怒り」は良くないと無意識に抑えるのがクセになっていた。』

「自分の気持ち」より、「他人のご機嫌」が気になってたわけだからな。それで自己肯定感をあまり感じなくなっていた、という事はあり得ないとは言い切れないかもしれん…

『それまでは世界という存在の一段下に自分という存在がいたんだけれど。それが、この、「怒り」は正当なものだ!っていう想いを抱いた時に不思議とその段差が埋まったんだ。
気づいたら、世界と自分は平等な存在になってた。

内面が劇的に変化したわけか。

『うん、それまでは「怒り」なんて感情は無くなればいいのに… そうすりゃ
世界平和も簡単なのに…とか考えてたんだけど。結果的に「怒り」に救われたんだよ。私個人はね。』

その体験をしてから対人恐怖は無くなったのか?

『一気に消えた。それまで苦労して無理やりテクニックで怖くないようにごまかしてたっていう意識があったんだけど、無くなったんだよ。すごくないか?
凄い!』

自己完結だと?!
……まあ、つまりは「怒り」は必要だったわけだ。君にとっては。

『今は「怒り」も全て含めて一つの感情という生き物が、自分の中にはおるのだと。それはキチンとコントロールできた方がいいけれど、感じる事そのものは否定しない方が楽に生きられる。という結論になってるよ。』

ふむ。それは良かった。眠たい。そろそろ寝るぞ。私は。

『はいはい。ありがとね。』