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阿吽の喧嘩。

矛盾してる。だが、それでいい。

森博嗣のエッセイ読むと元気が出るのは僕だけかい?

最近、やたらと読んでいる気がする。

とりあえず押し付けるような所がない。いちいち反発せずに読める。
内容云々ではなく、森博嗣は「私はこう思うがいかがか?」というスタンスを基本的に崩さないのでそこが好き。
それでいて、日常的な範囲から意外な角度でパンチを撃ってくる。または合気道で投げられてる。気づいた時には宙を舞っている。こういう負け方は気分がいいのだ。

だからスッキリする。

ちなみに森博嗣の小説の方は読んだ事はない。エッセイばっかりだ。

たぶんこの人は自閉症スペクトラム寄りなんではないかと感じている。だから仲間なんじゃないかと密かにマークしている。
まあ、僕が断定できるはずもなく、ご本人が言及してないので何とも言えないけれど。
「キチンと言い訳をして欲しい。平謝りされるだけだと困惑する。私はミスが起こった理由と今後の対策が知りたいのだが……」というような事を書いてるのを見ると微笑ましくなる。だけでなく、本当にニヤリとしてる。傍目には気持ち悪いだろうから電車とかで読む時は気をつけろよ、オレ。
定型社会だと

  • まずは反省している姿勢を示す(ここが平謝りのパート)
  • 相手の怒りがおさまっているのを確認
  • やっとこさ今後の対応について話し始める

という非効率的な(でも残念ながら大切な)ステップを踏む事になる。
『なんでこんな事になったんだ!?(怒)』と詰め寄られて、すぐさま理由を必死に説明したら『お前は言い訳ばっかりだな。』と言われるパターンを何度も経験して、発達障害関連の本を読んでから気づいた。
僕からすれば『なんでって聞いておきながらそぉりゃないぜぇ。とっつぁん!』と言いたくなるが、定型寄りの人は謝罪を先に求める生き物らしい。
しかし、森博嗣
「謝罪の気持ちばかり優先されても困る。私のような人間もいる事を知って欲しい。相手を見て対応を変えるべきではないか。」と書いていた記憶もあるから、森博嗣本人も薄々自分がそうだと気づいているのではないか、と推測している。まあ、どちらでもよいが。

この、「相手を見て対応を変えるという行為」には昔からかなりの抵抗感があって、人を不平等に扱うような事はしてはいけないという勝手な縛りプレイをしていた僕ですが、最近やっと考え方を変えています。
どんな人にも同じ対応というのは一見して誠実さを装えるというメリットがあるので全然アリな戦略だと考えられるのでありますが、その実、相手の人格や性格を無視した不遜な態度であると言われても仕方ないのではないか?
相手の考え方や立場、なんならその日のご機嫌なんかも鑑みてこちらの対応をしなやかに変えていける方が孫子の「上善水の如し」的なカッコよさを感じませぬか?(すごく疲れるけどね。)
とりあえずそう思い直してから、相手を自閉症スペクトラム寄りか、定型寄りに大ざっぱに分類し、対応を意識的に変えるようにした。それからちょっとずつ人間社会に溶け込めてるかなぁという実感が得られるようになったのだ。
ありがとう、森博嗣

結論が何なのかよく分からない文章になってしまった。自閉症スペクトラム傾向の人で色々悩んでて、フィクションとかにあんまり興味がないのなら
森博嗣のエッセイをパラパラとめくってみてはいかがか?
正直参考にはならない部分は多い。身も蓋もねぇ!って感じる事も多い。
でも、大多数の定型の大人はこうは言ってくれないだろうなって文章があって、それが普段無意識に考えてはいたものの言語化まではできてなかった!っていう部分に出会う確率が凄く高い。
そういう意味でスッキリする。
ありがとう、森博嗣。(二回目か?)