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阿吽の喧嘩。

矛盾してる。だが、それでいい。

マイナスの自己肯定感を底上げするために理論武装してますが何か?


世の中で自己肯定感(自分で自分を認める、または許してあげるような感覚)をしっかりと持てている人はどれだけいるんだろうか・・事あるごとに自らを責めてしまうのがクセになっている人もたくさんいるだろうと予想できる。
本屋さんに行き、心理学とか思想、哲学、宗教関連の本棚をさらっと眺めると、いかに多くの人が自己肯定感を持てずに悩んでいるかが分かる。ひしひしと。
僕も自慢ではないが、自己肯定感の低さにはまずまずの定評があった。そもそもこうやって不特定多数の人の目に自分の書いたものをさらすような行為ができるようになるとは感慨深い。『僕の文章なんて誰も見やしない。』と否定したくなるのをこらえるところからのスタートだから。
さて、自己肯定感という言葉をもっと簡潔にいうと「自信」と言い換えられると思うんだけど、この「自信」、くせ者である。なかなかのくせ者。コイツが屋敷に侵入した際にはお代官様あたりが『えーい、者共。であえ!であえぃ!』と号令をかけること請け合い。

本当に色んな人が自信を持つ事の大切さを唱えている。もちろん僕もそれ自体には賛成だけど、
「根拠のない自信」を持て!
というゴール直前でハシゴをぱっかーんと外された感じの本も何冊か読んだ事がある。「根拠のない自信」って概念を最初に考えたヤツ、ある意味天才やろう。
でも、所詮は天才。凡人を説得するのはまた別のアプローチがいると思う。自分に対する評価がニュートラルな人ならまだ分かるだけど、大抵は自信がなかったり、欲しかったりする人ってマイナスからスタートするからやっぱり根拠が必要じゃないだろうか。壁をよじ登る時、とっかかり部分みたいなのが欲しいじゃろ?壁がガラスでツルッツルやったら絶望やろ?どこかの超高校級の幸運がやってきちゃうよ!
少なくとも僕は根拠欲しい。

という事でこれまで見かけて『おっ これは!』と思った「なぜあなたは自信を持ってもいいのか?」を説明してくれている心強い屁理屈を恥ずかしながら紹介します。僕も落ち込むたびにお世話になっとります。
恥ずかしや、恥ずかしや。

  • 「私には自信がない」と断言できるその「自信」はどこから湧いてくるのですか?

初めて見た時、「ホンマや!」明石家さんま風に)と目からウロコだったお言葉。まあ、裏をかかれたというか何かダマされてる感もほのかに香りますが、自己肯定感のデフレスパイラルからは抜け出せそうな感触を与えてくれる。マツコ・デラックスあたりに言われると効果倍増しそう。

  • 人間の物差しを使って人間自身を蔑んでみたって意味がない

自分というか人間不信に陥りかけている時に「ホンマや!」となって助けてくれたお言葉。ついつい『愚かな人間どもよ・・』と神の目線で考えてしまう病に効果あり。
自分の価値を低く見積もろうとすればするほど、この言葉の意味が増してくるのがポイント。
・とりあえず人間も捨てたもんじゃないのかも→じゃあ自分も捨てたもんじゃないのかも、という論法で自信を回復しましょう。この言葉には反論のしようがなかった。ってか「寄生獣」そのものが僕の価値観にかなり影響を与えてると思うので逆に気をつけねば、と思うくらいだ・・・

  • 相手が自分にとっての完全無欠な人間ではないのなら、貴方だけが相手にとっての完全無欠な人間であらねばならない道理がない。

当たり前の事を言ってくれてるのだが、今でも心に残っているお言葉。完璧主義で身動きがとれないという病に効果アリ。他人の目が気になる時や 責任、プレッシャーにうち勝つ時にどうぞ。
これらは基本的にはマイナスからニュートラルに底上げするための理論武装なのだが、「自分と他人は平等に扱われるべき」という大前提が崩れている人は使えないという弱点もある。でも、手放しで『もっと自信持てよ!!』と松岡修造にごり押しされるよりはいいかなーと。
いや、好きだよ?松岡修造に罪はないよ?さすが好感度No.1はハンパないですよねー!(もっと自信持てよ。)
それにしても自己肯定感って本当にやっかいだな、とつくづく思う。あって困る事はないのはお金と一緒だけど、求めはじめたらキリないからなぁ…