阿吽の喧嘩。

矛盾してる。だが、それでいい。

特に政治家は目指していないから、「決断しない力」について擁護してみる。

そんなにたくさんの記事を投稿
してはいないけど、このブログを
読み返してみたら、
『キャラが定まってない、
というか自分って
思ってたより情緒不安定
なんじゃねーか?…』と
心配になった。

ありのままの自分も分からんし、
こうじゃなきゃいけない理想の
自分も無いんだから仕方ないか。


そう言えば、
『自分を変える努力』は
自己肯定感を強めるとは
限らないんじゃないか、
と最近考えている。

自己肯定感=他人の評価の高さ
という図式から抜け出せて
いない場合、自分を変えた
結果が良かったか、
悪かったかは相手が決める。
今まで当然のように感じていた。

けれど、自己肯定感は
市場原理とは引き離さないと
危ない気がしてきたのだ。

人間社会から需要があるか
どうかで自らの価値を決める
のは普通のことだ。
でも、なんと言えばいいのか、
別の軸をもってないとすぐに
倒れてしまいそう。
やはり、一本足より二本足だ!

人間は素晴らしいか、
と言われると難しいけど、
複雑な生き物やし面白いな、
とは思う。
だから同時に色んな軸で他人と
接するように心がけている。
もっと分かりやすく言うと、
『なるべく最後まで決めつけない』
くらいのもんだけど。

例えば、デスノートで「L」が
『これでライト君は99%シロです。』
と言いながら、
なかなかラスト1%を
詰めない、みたいな。
(ちょっと違うか…)


けれど、そういうカッチリ
した解が出ないある意味、
宙ぶらりんな状態に
たえられる力
は「強さ」って
言ってもいいんじゃないかと
思ってる。
人間社会では
『お前はどっち派?』と
問われる事が多いけど、
そこで『別に。』と
言い放てる感じ。

それから、これを書いてる
今、気づいたんだけども、
他人に
宙ぶらりんな状態である事を
許容できる力は「優しさ」
と呼べるのかも。
どうだろうか?
強さと優しさのハイブリッド。
ただの中途半端な人と
どう違うのか?
って疑問はあるけど、
すぐには答えを出さない。

『煮え切らない、
煮え切らない。
一休み、一休み。』