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阿吽の喧嘩。

矛盾してる。だが、それでいい。

他人の役に立つってどうすればいいのか

コレってすごく複雑な問題で、「ありがた迷惑」とか「よけいなお世話」とか「過ぎたるは及ばざるがごとし」などという言葉に代表されるように(最後のは違うか?)一方的な親切は相手を幸せにしないし、何なら断りにくいだけにある意味 暴力と化すところがあるから難しい。
付け加えると、その時は助けた相手から本当に感謝されたとしても長い目で相手の成長を邪魔してしまう事もある。過保護な子育てとか典型的な例やろう。
とまあ、このあたりまでは知識として知っているので真の意味で「人の役に立つ」とは何ぞやと考えだすと頭かきむしるしかない。そしてハゲる。

人間は気に入ったサービスにしかお金を出さないと相場は決まってるから、どれだけ稼げるかは、すなわちどれくらい(この資本主義社会において)他人の役に立ったかの指標にはなるだろう。
まあ、家事という仕事とか子育てとかあるからな。これはお金に換算できにくいけど。
今の所、他人を肯定してあげられるかどうかにつきると考えている。
『アナタの存在や考え方には価値がありますよ』というメッセージが相手に伝わらないとモノやサービスはこの世の中に広まっていかない。これはお金が絡まなくてもだいたい当てはまるんじゃないだろうか。

結婚に関して色々な角度から苦労話を散々したあげくに『でもまぁ、結婚っていいものだよ』とちゃぶ台をひっくり返したくなるような結論を持ってくる人がたまにいるけど、少なくともお互いの存在を根っこで肯定しあう関係はいいものだ、という感覚があるんでしょう。結婚を契約とみなせば「相手を肯定する」というサービスをお互いが提供しあうという形にも見える。深いところでどうなのかは知らない。

僕が興味あるのは、自分の価値観をぶっ壊されて喜ぶ人は少ないけど確実にいるということ。肯定されれば大抵の人は喜ぶけれど、価値観をぶち壊された場合は、それを喜ぶ人と、怒る人にかなり別れると思うのだ。
『うほっ!?その発想はなかった!』って思うのと『そんな事が認められていいハズねえ!』みたいな反応の違いなんだろうけど、その差ってどこから来るんだろうとよく考える。年齢とかじゃないのだ。よく分からない。またハゲてしまう。

すぐには結論が出ない問題だけど、
肯定しても否定しても「他人の役に立つ」事になるんだとしたら、ある程度は自分の好きにしようと思えないだろうか?
そういう自由さに救いを感じる。
僕は、最近そう思うようにしている。