阿吽の喧嘩。

矛盾してる。だが、それでいい。

自己肯定感がないとそれだけで疲れる。疲れるといいタイトルが浮かばない。『ああ悔しい』というこの感情をどうすればいいのかという話


自閉症スペクトラムを主なテーマで書いていこうと思い描きながら始めたこのブログ、いざ始めてみると「自己肯定感」について考えている事が多く、自閉症スペクトラムはそのためのとっかかりだったんだなと納得した。自分だけで納得して申し訳ない。

今の僕は昔よりは年をとっているので、若い頃より体力も衰えているはずだ。間違ってもより増強されているなんてことはないと思う。でも昔も今もあまり感覚的には変わらない。これは過去から現在にかけて体力は順調に落ちているけれど、精神の操作(的確な言葉が思いつかない)は上手くなった。よって気疲れしなくなった分、昔よりも少ないHP で活動できるのでは?という仮説を立てている。

同じ技を使ったとしてもMP 消費量が減っている、みたいな事だろうか。

違うね。これは違うよね。

基本的に同じ環境にいても自己肯定感の高い低いで削られていくHP 量には自ずと違いがでてくる。
例えば同じ人から同じ言葉をかけられても一方は全然気にせず忘れてしまうくらいで、もう一方は変に深読みしてずっと傷ついてる、というケース。

  • 褒められた時に、素直にうけとれる人と『あれは遠回しに皮肉を言われただけだ』と考えてしまう人。

こういう類いの比較は自己啓発本のタイトルにそのまま使えるので便利である。

  • 人生は『自己肯定感』が9割。

これもありそう。てかあるんじゃないのか。Amazonで検索はしないが。

いや、そうではなくここ最近
『あー、僕の自己肯定感もよくぞここまできたものだ。』くらいには思えるようになった理由を考えていたのだ。
そもそもここまでこだわってる時点で僕はかなり自己評価は低めの卑屈人間だったはずだ。本当に幸せな人は『俺は果たして幸せなのか』とか悩まないだろう。
雑談が得意な人からは『次に何喋ろうかとかイチイチそんな事考えてんの?』と言われてしまったりする。

足りないものについて考えてしまう事が多い。しかし考える事を否定してしまうとその先に進めないのでとりあえずやめはしないでおこうと思う。

最近よく読んでいるブログに「文章を書くということはそれ自体が自己肯定」というのがあって

確かにこのブログを始めるまでに結構煩悶していたし、以前の記事で人様の目につくところに文章を載せる覚悟ができたこと自体が成長である、みたいな事も書いたのでちょっと嬉しかった。

とりあえず自分の感情だけは否定しないように、しないように、と意識してみたのは(即効性はなかったけど)良かったんじゃないだろうか。そんな事していると己を甘やかすだけになるのでは?と不安になるんだけど行動と感情は別だと割り切ってやってみる。他人に八つ当たりしてしまうといけないのでイライラしたら僕はトイレにこもる。
私は貝になりたい。』

でも感情だけは心の中に素直にいさせてやる。なるべくでいいんで。静まるまでいさせてやるだけ。そこから始めてみて下さい。