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阿吽の喧嘩。

矛盾してる。だが、それでいい。

厄介な、でも頼りにしている、この性格の話

『そんなんで、おまえ疲れないのか?』


いつも理屈っぽい考え方をしていると、たまにこう聞かれる。
あと、同じくらいたま~にだが、役に立つ事もある。例えば、過去の出来事を思い出す必要にせまられた時。理屈っぽいということはすなわち思考の飛躍が少ない。ゆえにA地点からC地点に行くには必然的にB地点を通過している、みたいな考え方をする。
毎回おなじようなルートを通るので断片的な記憶しかなくても、「いや、あの状況ならば自分はこう考えるやろう。」という推測が立つので同じ思考ルートをたどっていきやすい。そうすると芋づる式に記憶を呼び出せる事が多いのだ。

自分は短期記憶は弱いし(特に単純な数字はかなりヤバい)、平行作業しているとどちらかはすぐにすっぽぬける人間だが、そこそこエピソード記憶はあるように感じる。
それは自分で自分の思考パターンを容易に再現できるからだろう。
裏を返すと感情的な揺れを思考パターンからなるべく締め出している。『もっと自分の気持ちを素直に出した方がいい』と言われた事もあったけどあまり感情的にならない方が全体としては得だ、という僕の「気持ち」が強かっただけだったとも言える。

感情的な揺れ、と書いたが感情も自分の脳が外からの刺激に対しておこす一種の現象であるから、実はパターン化して操作できるんだろう。しかし今の僕にはかなりあやふやなものに感じられてあんまり楽しむ余裕がない。
自分は昔からギャンブル的な要素を避けたがる傾向があった。
ポケモンカードでデッキを組む時はコイントスで技の成功が決まるようなカードは使わなかった。
自分がHUNTER×HUNTERの念能力を持っても、使うたびにルーレットが回り、出た目によって本人の意志に関係なく選択される能力が変わるみたいなのは絶対に発動しない。(ほとんどの人がそうだろうけど。)
少々例えがマニアックだったが、ニュアンスは理解してもらえるだろうからいいや。

自らの行動を運とか感情に任せるというのは「なげやり」なイメージが付きまとう。しかし僕が最終的に思うのは、やはりどっかで自分と社会に対する信頼感がないとできにくい行為なのではないか、と思う。
未知の領域に踏み込む時は、そこに至るまでに「未知の領域に踏み込んだものの、何とかなったぞ」という経験が大きい。
言葉遊び的には、「未経験を経験する」という経験
そして何とかできた、という記憶。
今の僕自身を形作るとても大事な要素だな、と思うし、もっと必要だと思う。


(ここで三分オチを考えましたが、
しっくりきませんでした。)

このあたりは、自己肯定感とも深ーく関わっているだろうから、また気が向いたら書きたいです。