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阿吽の喧嘩。

矛盾してる。だが、それでいい。

「他人からの承認」という供給がないなら、とりあえずは自家発電でいいんじゃないのか?それで充電してから他人のために動いても悪くないと思う。

もうだいぶ前になるが、NHKの「ニッポンのジレンマ」という番組で、『承認欲求が肥大化する社会でどういうスタンスで生きていけばいいのか?』という話をしていた。今年の元日SPの反響をうけての特別枠だったらしく、いつもより人数が少なめ。そのぶん、元日SP では ほとんど発言してなかった小池龍之介が多めに喋っていたのでなかなか面白かった。(元日SP にいたっては途中で退席してたのでマジか!?という意外性はあったけども。)
番組の全体の結論は『他人の評価を気にしていてもしようがないよね。承認欲求からはある程度解放されて軽やかに生きていこうよ。』みたいな感じだったと思う。ゲストのうちで小池さんとホリエモンがこっちのタイプ。
もう1人、学者さんがいて、この方がなかなかバランスの良い方向に議論を持っていってくれていて好感がもてた。(なのに名前が出てこない)
小池、ホリエ組の意見は理想的ではあるけれど、『いや、そうなれないから苦労してんじゃーん!』と言いたくなる事も多い僕の気持ちを学者さんがほとんど代弁してくれた。感謝。ただ、一番問題意識をかきたてられたのは小池さんの

自分の好きな事でいきいきと人生を楽しんで生きなければならない、という一種の強迫観念で苦しんでいる人が最近ふえている。

という意見だった。
一見どこからどう見てもポジティブな価値観だけれど、これに固執してしまうとそれもまた毒になりうる。ナルホド、と思った。
承認欲求から自由になるっていうのは次元が違うレベルで難しいけど、まずは自分の悩みとか苦しみの原因の一つとしてそういう「欲求」があるんだよな、僕には。という自覚があるかどうかがスタートラインだという気がした。
このブログだってそうだ。
とりあえず「自己肯定感」について考えるという自分の中での基本スタンスはあるけど、

  • 一番はじめは色んな人のブログを読むうちに、自らを相対化できるようになったり、「自分と似てる思考をする人がこんなにいるんか!」と救われたような感じがして「正直に色んな事を書いてそれが誰かの心を軽くできる可能性があるんなら僕も書こう」と思い立った

という経緯がちゃんとある。
誰かの役にたてたとしたら、それは自分で自分の承認欲求を満たすことに繋がるから、どこまで行ってもこれは自分の、自分による、自分のためのブログだ。間違いない。
でも、自分みたいなやつはきっと1人じゃないから、自分を救うことは、すなわちこの世の誰かも救うことに繋がるだろう。

この理屈は、今の僕の自己肯定感の下支えになっているのだが、いかがか?
(このいかがか?は、「この理屈で楽になれる人がいるならお裾分けしますけれど、いかが?」のいかがである。)