阿吽の喧嘩。

矛盾してる。だが、それでいい。

「感謝」よりも「納得」という言葉の方が納得できるので、それを大切にしていこうと思う。あるいは、「感謝してほしければ、納得させてみろ」

今週のお題「2017年にやりたいこと」

今まで、「今年はこれこれをやるぞ」と思ってできた試しはないので、結局は今こう思っているというだけの事になりそうだが、(そう言えばこのブログはそういう事のメモみたいなものだ)「感謝」という感情は「納得」の後にくるものだと感じている。

感謝する心を大切にしよう、という言葉を色んな本で目にする気がする。何なら感謝すれば人生うまく行くとまで言ってる人もいるけど、そりゃ言い過ぎじゃないかと思う。「言い過ぎ」に語弊があるなら、すっ飛ばし過ぎの方が精確か。

感謝するときってどんな時かというと「有り難いな」と感じた時だがそれを思うためには必ず「タダじゃなかったのか」とか「当たり前じゃなかったのか」という気づきが先にくる。やってもらった行為、または存在そのものに『ああ、これは偶然、恵まれてて手に入ってたものなんだな』と納得できて、それから感謝できる。つまりはその対象に対するきちんとした理解ができて初めて感謝するかどうかが決まる。いわゆる「失くしてから気づくパターン」が多いのはタダじゃなかった事を理解できるのが失くしてからの事が圧倒的に多いからだ。

大げさに言うと、この世界の仕組みやシステムや因果を理解できてからでないと感謝できない。「感謝」っていうのは結局、人間にとって訓練や教養のいるもので本来的に備わっているものじゃない。「感謝すれば人生うまく行く」のはすっ飛ばし過ぎやと思うのはここらへんだ。理屈っぽくタイトル付けなおすなら、「人生がうまく行ってないなら、感謝できるように色んな事を勉強して出直してきなさい。」とするべきだと思う。絶対そんな本売れないが(笑)

なんでこんな事を考えたかというと、自分の周りに『あいつは全然わかってない、もっと俺に感謝するべきやろ』みたいなニュアンスの不満持ってる人が多いなと思ったからだ。

まあ、分からなくもないのだけど相手の世界観の中でその貴方の行為は、まず独立した一つの行為という概念にならねばならんしその上で相手に有益な行為であるかどうかが判断され、それが貴方の親切心のみに支えられておるという事、つまりは「タダじゃないんだぞ!」という事を相手が理解して初めて「感謝」されるわけだ。他人にここまでの情報処理を要求するって思えばなかなかしんどい行為だ。相手も忙しかろう。

とここまで考えて、感謝してもらえるというのは、むしろこっち側が感謝するべき事な気がしてきて笑ってしまいそうになった。

『なるほどな、こすとぱふぉーまんす的には感謝を求めて何かするのって割に合わないな』と妙に納得した。