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阿吽の喧嘩。

矛盾してる。だが、それでいい。

好きな事を職業にできた人は諸々鑑みてやはり幸せと言って差し支えないように思う。

対人関係をウワベだけでも良くしようと考えている僕にとって笑顔というのはかなり重要なツールになっている。

愛想笑いもそこそこ使うし、相手も愛想笑いだと気づいている前提で使うのがいわゆるオトナのやり方なんだと最近は思う。やはり円滑にできるところは円滑にしておいた方が、得られるものも多い。

 

しかし、『愛想笑いをしないと人間関係がギクシャクしてくるとすれば、それは根本的なコミュニケーションのやり方がどこか間違っていると捉えるべきで、やらないで済むならやらない方が君の価値は高まるよ。』というアドバイスをもらった。なかなか含蓄がある気がする。

どうなんだろう?  僕は愛想笑いもスキルの一つで、バカとハサミと同じもんだ、使いようだ、と捉えていた。しかしコミュニケーションスキルの低さを愛想笑いで無理やりカバーしているだけだとすれば…

課題は増えるばかりだ。

 

課題が増える一方で、 付き合いを継続している人は年々減っている。コミュニケーションを課題にしているクセに何とも矛盾している。

思い返してみれば、自分と長く一緒にいる人は心を少し病んでいるような人が多い気がしてがしてならない。

例えばまず病んでいて、その部分に惹かれたとしても何かの拍子に健全な精神を取り戻したら、その人との関係は自然と希薄になるだろう。自分がその、健康になった相手への興味が無くなるというのもあるかもしれない。興味がなくなるとまでいくと言い過ぎかもしれないが、話の中で相手を観察し、深く分析してみたいという欲求が湧いてこない。昔、糸井重里が、『常にザワザワと誰かと一緒にいる感じの人が苦手だ』と前置きした上で、『反対に1人の時間で色々と自分の考えにヤスリをかけてる感じの人とは気が合う』と言っていた。考えにヤスリをかける、という表現を僕は気に入った。

相手のヤスリの跡を見つけて、ああ、なるほど、ここをこう削ったから今のこの人があるのだな。みたいな事を考えるのが好きなのだろう。これが職業になるかといえばあやふやだけども。